2014年6月26日木曜日

佐々井先生も忘れはしないでしょう。アーユルベーダ農園の建設、まずはスタートしたわけ。医療、学校、遺跡、政府の交渉、50エーカーの自己の土地を提供され、当時は佐々井先生の執事室によく通ったものです。佐々井先生からの達筆のお手紙も私の宝物です。通信さえうまくいかず、現地での交渉が今も思い出されます。井戸は2日、水路は二年に、発作機械を入れると騒ぎが起きる。仕事が無くなる理由です。完成し、学校もでき、診療所も、薬もかたちができました。日本のボランテアの女性が一人で当時はありえない。ひどいことがあったようです。帰国するよう進めました。その組織の代表には二度とないよう申し伝えました。このナグプールには私の尊敬する3人がいらっしゃいます。今は亡きインドの二番目の父と母。お別れは最後の携帯電話会話しそのインドの父と約束してしまいました。私は、このインドの亡き父母の妹さんの8人に大変お世話になりました。感謝。仏教とである、亡きインドの父母は佐々井先生を尊敬し、なにかお祭りことがあると佐々井先生のお経を聞いてました。その当時は佐々井先生の簡素な事務所が市内に3畳くらいの机、ベッド、物置小屋半畳くらいと記憶してます。まだお寺もないこれからと言うときでしたから。佐々井先生、木山通宏広島へ沢山お手紙も懐かしくあります。マグプールの農園事業はAMDAに引き継いだのですが、その後はうまくいってますか?近いうちに、佐々井先生にお会いしたく希望してます。私も年を重ねました!佐々井先生は少しふくよかになられ、だいぶインドの仏教も安定したのでしょうか?先生の健康を希望します。新聞にもプレスリリーステレビ、セレモニーは約4日昼夜遠し、私は、二日目でリタイヤ。炎天下です日本人の体力はかないません。先生のお写真インドの活動は、日本人では想像つかないと思います。眼光鋭く、ベンガルトラ、兵隊も、気にもかけず交渉が進む、声は俗にだみ声で自分より大きな声です。すぐわかります。二度と日本に帰国しないとおっしゃられて、最近は日本にこられているようです。お元気が何より。インドの活動のために信条をもって全うしてください。私のナグプールでの尊敬者、以上3名紹介しました。Michihiro Kiyama (P)Copyright BGCTK.K.RD Tokyo Japan2014 Allright reserved.

インド不可触民を救う日本人仏教指導者_佐々井秀嶺: 

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